デンマーク家具の歴史!デンマーク出身のデザイナーと共に

by twistdesign

【デンマークという国】

デンマークは、首都コペンハーゲンがあるシェラン島、ドイツとの国境を有するユトランド半島、そのユトランド半島の東に位置しデンマークの中央部にあるフュン島と、400以上の島々からなる、日本で言うと九州ほどの広さに、たった580万人ほどが暮らす小さな国です。日本より大分北に位置しているので、夏は快適で昼間も長いのですが、冬は暗くて長い夜が続きます。ただ、気温はそれほど低すぎず、氷点下になる時期は短く、雪もあまり降りません。この気候がデンマークの生活や文化に大きな影響を及ぼしていて、特に長い冬の間室内で過ごす時間が多いため、快適な住空間が発達したようです。機能的でデザイン性の高い家具が数多く作り出されたのも、そのためと言えるでしょう。

またデンマークは、世界幸福度ランキングで常に上位にランクされています。税金はかなり高いのですが、教育費、医療費、出産費がかからないため、様々なことを心配せず生活ができます。さらにデンマークは、職業による収入格差が少なく、公務員と弁護士とバスの運転手の収入が概ね同等なうえ、福利厚生や有給休暇も手厚いということです。個々の能力に合う職業につき、デンマーク社会に貢献できる人材になるために勉強をするため、学歴で評価されることもほぼないのです。このような協働の意識が、世界で最も幸福な国の一つを作っているのですね。

【デンマーク家具の特徴と歴史】

一般にデンマーク家具と聞いて思い浮かべる家具は、1940年代から60年代の約30年という限られた期間にデザインされたものがほとんどです。特徴としては、「シンプル」「モダン」「ナチュラル」「機能的」「実用的」などがあげられます。デンマークでは1900年代以前はオリジナルと言える家具デザインは存在していませんでした。1900年代初頭から工業的な大量生産を前提としたバウハウスに影響を受け、それが独自の進化を遂げ、木材の材質を重視し、伝統的なクラフトマンシップを維持しながら、一般市民にも手が届きやすく使いやすい家具を作ることにいたりました。

【歴史に沿ったデンマーク出身のデザイナー】

先にも述べた通り、デンマークの家具というと1940年代から60年代の約30年にデザインされたものを指します。その30年と前後の巨匠と言われるデンマーク家具のデザイナー達は約18名です。その中でも特に名が知られていて今でも人気のある家具のデザイナーを年代の古い順から紹介していきます。

【デンマーク出身のデザイナー①】
1888〜1954 コーア・クリント(Kaare Klint)

まず、「デンマーク家具の歴史」として外すことができないのがコーア・クリントです。コーア・クリントは「デンマーク近代家具デザインの父」とも呼ばれ、後のデンマーク家具デザインに大きな影響を与えたデザイナーです。デンマーク王立芸術アカデミーに家具科を設立し、初代教授を務め、オーレ・ヴァンシャーやボーエ・モーエンセンなど北欧デンマーク家具デザインを代表する多くのデザイナーを育てました。

レッドチェア(1927)


出典:ピンタレスト

コーア・クリントは、伝統家具の合理性や美しさを調査し、分析し、再認識して、伝統家具に伝統美と機能性の両面を持たせ、現代的に「リデザイン(再設計)」する事を説きました。特にイギリスで18世紀に流行した家具の研究を行っており、1927年に、イギリスを代表するトーマス・チッペンデールの椅子をリデザインした「レッドチェア」を発表しました。また、コーア・クリントは人体と家具の相関関係や収納家具の基本寸法などについても研究し、数学的なアプローチを家具デザインに導入していました。

サファリチェア(1933)


出典:ピンタレスト

1943年には自身でレ・クリント(LE KLINT)を創業し、折りたたみの式のスツール「プロペラスツール」や世界初とも言える組立式椅子「サファリチェア」、紙を規則的に折り上げて作る、手づくりのランプシェードなど機能性もデザイン性も優れた作品を残しました。

306ランプ(1945)


出典:ピンタレスト

【デンマーク出身のデザイナー②】
1902~1971 アルネ・ヤコブセン(Arne Emil Jacobsen)

世界で最も有名な北欧デザイナーと言っても過言ではないアルネ・ヤコブセン。ヤコブセンは、北欧デンマークのモダニズムをリードした建築家兼家具デザイナーです。1927年に王立芸術アカデミーを卒業してから70年代にかけて、多くの有名建築をデザインしました。その建築デザインは、ベルビュービーチの総合リゾート開発、オーフス市庁舎、ベラヴィスタ集合住宅内のタウンハウス、SASロイヤルホテル、オックスフォード大学の新キャンパスなど、今でも残っている建物が多数あります。ヤコブセンのデザインの特徴は、ランドスケープから建築、家具さらにはカトラリーまで、トータルにデザインに携わったことです。

セブンチェア(1955)


出典:ピンタレスト

アルネ・ヤコブセンは「アントチェア」「スワンチェア」「セブンチェア」など、今でも人々に愛される機能的で座りやすく、デザインも美しい、北欧インテリアデザインを代表する椅子を生み出しました。特に世界で一番売れているスタッキングチェアとして知られる「セブンチェア」は、日本にでも、オフィス、図書館や美術館などの公共施設などでもよく使われているので、目にしたことがある人は多いでしょう。

新しいタイプの建築と、それに不可欠なインテリアエレメントを主張し続けたことで、当時は市民に反対されたこともありましたが、現在ではデンマークの一部となり、人々に愛され続けています。

【デンマーク出身のデザイナー③】
1903~1985 オーレ・ヴァンシャー(Ole Wanscher)

コーア・クリントの愛弟子の一人。コーア・クリントがデンマーク王立芸術アカデミーに設立した家具科で学び、クリントのいる事務所に勤めた時期もあり、さらにクリントの死後は、家具科の教授に選ばれました。家具デザイナーとしてだけではなく、家具研究の著書も多く、後進の教育にも務めた、アカデミックなデザイナーです。クリントの愛弟子だけに、オーレ・ヴァンシャーがデザインする家具は伝統家具のリデザインで、イギリスだけでなく、ギリシャ、エジプト、中国など、様々な国の家具に影響を受けています。

コロニアルチェア(1949)


出典:ピンタレスト

オーレ・ヴァンシャーの家具は繊細でエレガントなものが多く、また、高級木材を使用したものが多かったため、モダンとはいえ、まだ庶民には手の届きにくい家具でした。しかし、量産用の一般家庭向けの家具もいくつか残しており、現在中古家具などではその種類が多いです。特に、1949年に発表されたコロニアルチェアは、ヴァンシャーの家具らしいエレガントな雰囲気でありつつも、効率よく各部材を加工できるようにデザインされた椅子です。

【デンマーク出身のデザイナー④】
1912~1989 フィン・ユール(Finn Juhl)

フィン・ユールは、当時主流であったコーア・クリントのメソッドを重んじる形式から抜け出し、独自のデザインを確立したデザイナーとして知られています。18歳でデンマーク王立芸術アカデミーの建築科に入学し、在学中から、当時デンマーク建築界を牽引していた建築家ヴィルヘルム・ラウリッツェンの事務所に入ります。その事務所にいた10年間で、コペンハーゲンの「カストラップ空港新ターミナル」や、デンマーク国営ラジオの本部「ラジオハウス」など多くの設計に携わりました。ユールは、木工マイスターの資格を持っていなかったので、家具職人のニールス・ヴォッダーと長年タッグを組み、彫刻的で有機的なフォルムの家具を次々とデザインします。1940年代、デンマークでユールの奇抜なデザインの家具はあまり評価が高くありませんでした。しかし、ニューヨークの国連の議場を設計したり、ニューヨーク近代美術館のキュレーター、カウフマンJr.の後押しを受けたりしたことで、デンマークよりアメリカで高く評価され、国際的に活躍したことで、デンマークでも次第に評価が高くなりました。

イージーチェア No.45(1945)


出典:ピンタレスト

「世界で最も美しいアームを持つチェア」とまで言われているフィン・ユールのNo.45 イージーチェアは、ユールがヴィルヘルム・ラオリッツェンから独立後に最初にデザインしたチェアで、まさに巨匠フィン・ユールの出発点であり、一番の代表作です。シートとフレームが分離する構造のためアームや脚の部分に隙間があるので、まるで宙に浮いているようなデザインで、彫刻的な美しさを強調する事が出来ています。

【デンマーク出身のデザイナー⑤】
1914~1972 ボーエ・モーエンセン(Børge Mogensen)

ボーエ・モーエンセンは16歳で木工職人に弟子入りし、20歳で木工マイスターの資格を得ました。22歳でコペンハーゲン美術工芸学校に入学し、本格的に家具デザインを学びます。その頃学校で仲が良くなり長年交流を持つのが次に紹介するハンスJ.ウェグナーです。また、美術工芸学校を卒後したのち進学した、デンマーク王立アカデミー家具科では、コーア・クリントに師事し、様々な家具の応用や数学的アプローチに基づく家具デザインの方法論を学びます。1942年には、28歳にしてFDBモブラー家具デザイン室の責任者に抜擢されました。

J39 シェーカーチェア(1947)


出典:ピンタレスト

「庶民のデザイナー」として知られるボーエ・モーエンセンは、人々の住宅事情や消費意識などに合わせた家具を追求し、一般庶民が購入できる価格でありながら、質の高い家具を創ることを使命としていました。モーエンセンが数々の試行錯誤を重ねた結果、1947年には、19世紀にアメリカで生まれたシェーカー教団の椅子「シェーカーチェア」をリデザインした、J39 シェーカーチェアを完成させました。背もたれには、大きく湾曲させた幅広の板を使い、すっきりしたデザインの上、生産性の高い椅子です。しかし当時はまだ、一般庶民には受け入れられず、モーエンセンがデザインした椅子が大ヒットしたのは、モーエンセンがFDBモブラーを去ったあとの1950年代になってからでした。その後デンマークでは「庶民の椅子」と呼ばれ、現在でも国民的な椅子として親しまれています。

モーエンセンは、1950年に自分のデザイン事務所を構え、新たな方向性を示したハンティングチェアやスパニッシュチェアを発表し、多くのメーカーからの依頼で、1960年代後半まで工場で量産できる家具を次々とデザインしました。デンマークの庶民の生活スタイルを変えるというデンマーク家具の歴史に大きな功績を残したのです。

【デンマーク出身のデザイナー⑥】
1914~2007 ハンス J. ウェグナー(Hans Jørgensen Wegner)

日本でもよく知られているハンス・J・ウェグナー。14歳から家具職人の下で修行を始め、17歳の時には木工マイスターの資格を取得しました。20歳のまで家具職人の下で修行しながら、国立産業研究所で木材についての研究もしていたという努力家。23歳の時コペンハーゲン美術工芸学校に入学し家具設計を学び、コーア・クリントのデザイン方法論を学びました。1938年~1942年の間②で紹介したアルネ・ヤコブセンと建築家エリック・モラーの建築事務所に勤め、フィン島東端に位置する都市ニューボの図書館で使用する家具、オーフス市庁舎で使用する家具などをデザインしました。1943年には自身の建築事務所を設立。1946年にはボーゲモーエンセンと合作したインテリアデザインを、コペンハーゲン高級家具師展に出品するなどし、活躍の幅を広げて行きました。その後ヨハネスハンセン、フリッツ・ハンセン社などの家具デザインを多数手掛けます。

Yチェア(1949)


出典:ピンタレスト

1950年の発表以来、これまでに世界中で70万脚以上が出荷されていて、数多くあるウェグナーの椅子の中で最も売れたと言われる椅子です。ゆったりとした奥行きのある座面と背から肘まで緩やかに回り込むようなラインの肘掛けが特徴で、ダイニングでもくつろげるチェアとして愛され続けています。中国の明朝時代の椅子をヒントにデザインされ、細部を更に突き詰めることで誕生したチェアで、機械生産がしやすい形状のため、工業デザインとしても優れています。背板の合板がY字型なので、Yチェアと呼ばれています。

妥協のない品質へのこだわり溢れる多くの家具を創り出したハンス・J・ウェグナーは、生涯で500種類以上ものチェアをデザインした20世紀のデンマーク及び北欧を代表するデザイナーの一人です。1959年にはロンドン王立美術協会から王立産業デザイナー名誉会員の称号が贈られました。彼のデザインした家具は今でも生産され、世界中で多くの人々に愛され続けています。

【デンマーク出身のデザイナー⑦】
1923~2005 ナンナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)

当時、男性の家具デザイナーがほとんどでしたが、その中で活躍した数少ない女性家具デザイナーの代表がナンナ・ディッツェルです。家具以外にもアクセサリーやテキスタイルのデザインも手掛け、色彩にこだわりを持ったデザイナーでした。19歳から家具職人養成学校で修業し、翌年はコペンハーゲン美術工芸学校に入学し家具デザインを勉強しました。その時知り合い結婚したヨルゲン・ディッツェルと共同でデザイン事務所を立ち上げ、一緒にデザインした家具や、テキスタイル、ガラス、陶器、金属アクセサリーなどが数々の名誉ある賞を受賞し「コンペ荒らし」として有名になりました。2人でデザインした家具で特に有名なのは、籐編みのハンギングチェアです。しかし、夫ヨルゲンは40歳の若さで他界してしまいました。

TRISSEN(1962~63)


出典:ピンタレスト

一人になってからもデザイナーとして活躍を続け、我が子の成長に合わせて、さまざまな子供向け家具を生み出しました。特に遊び心のあるトリッセンシリーズのスツールは、今でも変わらぬ人気のある作品。もともとは子供用のスツールとしてデザインされましたが、転がして遊ぶこともできますし、コンパクトなサイズと使い勝手の良い形状から大人がサイドテーブルとしても使うこともできます。はなやかな色のバリエーションが多く、スツール。オーク材、ビーチ材などの無垢材で作られているので子供が使っても非常に安心なしっかりとした作りです。デンマーク家具特有の機能性とデザイン性が融合した作品です。

1968年にはロンドンで家具ショップを経営する人と再婚し、拠点をロンドンへ移し、ロンドンでも活躍しましたが、またもや再婚相手が他界し、1986年に再度デンマークに移り住むことになります。ロンドンでの活躍により、デンマークでも歓迎され、82歳で他界するまで、精力的にデザイン活動を続けました。74歳の時にデザインしたシティベンチは、今でもコペンハーゲンの公園などに置かれ、街にしっくりなじんでいます。

【デンマーク出身のデザイナー⑧】
1926~1998 ヴェルナー・パントン(Verner Panton)

デンマーク近代家具デザインの「異端児」ヴェルナー・パントン。独特の色彩構成と近未来的な空間形成は1960~1970年代のデザイン界に大きな影響を与えました。21歳からコペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミー建築を専攻した後、当時の北欧デザイン界のトップであったアルネ・ヤコブセンの建築事務所で働き腕を磨きます。2年で退所した後は、3年間ほどヨーロッパ各地を放浪し、その後、1955年に若干29歳という若さで自身の建築デザイン事務所を設立します。パントンは家具の概念を覆す斬新な家具やインテリアを次々と発表しました。

パントンチェア(1967)


出典:ピンタレスト

現在ではミッドセンチュリーデザインの象徴ともいわれる名作パントンチェア。 パントン自身の名を冠した「パントンチェア」の、 安く生産できるパリエステル樹脂の一体成型という画期的なアイディアと、可塑性の素材でなければ成しえない、流れるような究極のフォルムは、発表されるやいなや世界中で大絶賛を受けました。そして、その時代ごとに、最も優れた素材を用いるという彼のアイディアのもと、今でも新しい素材をもって生まれ変わり続けています。

木を使った北欧の伝統的な技法を嫌い、奇抜な色使いと斬新なアイディアから特異な存在であったパントンの家具ですが、今でも多くの人を魅了して止まず、北欧のモダンデザイン史の中で代表的な地位を確立しています。

【デンマーク出身のデザイナー⑨】
1929~1980 ポール・ケアホルム(Poul Kjaerholm)

ポール・ケアホルムは、一切の妥協を許さず、極限まで洗練されたフォルムを追求する、徹底した美意識を有するデザイナーでした。家具職人としての修業した後、コペンハーゲン工芸学校で家具デザインを学びました。ケアホルムは、当時から建築素材に強い関心を持っており、家具の素材としてはまだ一般的ではなかったスチール素材も、木などと同様、芸術的な繊細さをもつ天然素材であると考えていました。卒業後はフリッツ・ハンセン社に約1年間勤め、その間に重要な椅子のプロトタイプを数多くデザインしました。

PK-22


出典:ピンタレスト

1955年より家具メーカーのアイヴィン・コル・クリステンセン社と共働し、ダイニングチェアPK-1を皮切りに、様々なPKシリーズを発表します。1956年に発表されたPK-22は、1957年のミラノトリエンナーレにてグランプリを受賞した彼の代表作です。ケアホルムのクラフトマンシップを大切にする姿勢が伝わります。金属のフレームを使用し、一見すると直線的で硬派な印象を受けるが、体が直接触れる部分には高品質な革を使い、左右に渡したステンレスバーが圧力を保ち支えるというシンプルな構造で、人が座ると座面と背面が人の重みで沈みこみ、包まれるような座り心地です。

アイヴィン・コル・クリステンセン社との協力は1980年にケアホルムが51歳の若さで亡くなるまで続きました。ケアホルムは、クリント派でありながら、他の家具デザイナーが木製家具を中心にデザインしたのとは異なり、金属製の家具のデザインを得意としていました。美と緊張感が融合したケアホルムの家具は、空間を引き締める要素として、今でもインテリアデザイナーから重宝されています。

【現在に至るデンマーク家具の歴史】

1970年代に入ると、ポップカルチャーが流行し、デンマークモダン家具の人気は急落しました。さらに、マイスター制度が衰退したことで家具職人が減少し、家具工房の大半は廃業してしまいました。1980年代からは第二世代のデザイナーが難しい時代を乗り越えようと頑張りますが、世界の注目はすでにイタリアの家具に移ってしまっていました。デンマーク家具やインテリア界は長く厳しい時代が続きましたが、1990年に入るとデンマークモダン家具が再び注目を集めだします。1990年代半ばにスウェーデンにて格安で総合家具を製造販売するイケアが登場し、世界中に旋風を巻き起こします。窮地に立たされたデンマークは、安価な家具より価格帯はやや高くても、品質やデザイン性に優れているうえに、一般庶民にも手が届く家具という方向性を見出します。1999年にはノーマン・コペンハーゲン、2002年にはヘイ、2006年にはムートなど、若手デザイナーを起用した新しくコスパの良い家具をプロデュースするブランドが設立されます。また、もう一つの傾向は、復刻生産です。デンマーク国内のみならず、国外の家具メーカーが製造ライセンスを取得して、復刻生産を行っており、近年増加傾向にあります。

【おわりに】

デンマークでは昔から「ヒュッゲ」という言葉が大切にされています。「ヒュッゲ」とは、英語ですらも直訳できる単語がない独特なニュアンスがありますが、イメージとしては「幸福」や「心地よさ」を表す言葉で、シンプルであることの豊かさや、ミニマムの美しさを追求しています。昨今ではこの「ヒュッゲ」が欧米でも注目を集めており、日本でも徐々に浸透しつつあります。この「ヒュッゲ」が根底にあるデンマークで作られる家具は、今の時代の家での過ごし方にしっくりくるもので溢れています。そんなデンマーク家具を理解するためには、デンマーク家具の歴史を知ることも重要だと考えます。デンマーク家具とそのデザイナーたちの歴史を簡単に説明させていただきました。興味を持った方はさらに詳しく書かれた本などを読んでみることをお勧めします。

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