・ブルータリズム建築ってなんなのだろう?
今でも、日々、歩いていると、むき出しのコンクリートのガレージや、赤レンガだけで作ってあるような小屋だったり、あるいはそれをおしゃれに昇華したような素敵な喫茶店に出会ったりします。
ブルータリズム建築という言葉を聞いて、建築や美術などが好きな方ならば知っているかもしれませんし、日本でもおなじみのかのル・コルビジェもブルータリズム建築のひとりの偉大な建築家として名をはせているので、わたしたち日本人にはどこかなじみの深い建築流派だったりもします。
そもそも、このブルータリズムという名称は、〈荒々しい、粗野〉という単語〈brutal〉からきています。そこからわかるように特徴として、装飾や意匠をほとんど徹底的に除外して、素材そのものを建築として全面的に前に出すというスタイルをとっています。
そのため、たとえばコンクリートにしても、あまり加工されたものを用いることもなく、むしろ自然界の不完全さそのものの中に、詩情を見出すといった特徴があります。これももしかすると、第二次世界大戦という行き過ぎた〈人間至上主義〉〈文明〉〈科学万能〉といった考え方が、本来あるべき自然の姿を蹂躙してしまったという反省があるのかもしれません。原爆のきのこ雲を見て、当時の人々は唖然としたことでしょう。そして、古き良き、自然の不完全さにノスタルジーを感じるのも、無理はないことだと思います。
・ル・コルビジェによるべトン・ブリュット
代表的なのは、ル・コルビジェによる、べトン・ブリュット(生のままのコンクリートという意味)と呼ばれる、文字通りコンクリートそのままを建築様式として大胆に取り入れた方法で、非常に荒々しく、虚飾を離れていて、当時戦争の傷跡から復活しようとするヨーロッパには、ふさわしいように思えた方法でした。
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というのも、50年代のヨーロッパでは、多くの建築物が倒壊し、街は半壊状態でした。そのため、時間的にすぐ作ることができ、かつ機能的な建築が必要とされていました。特にイギリスにおいては、そういった都市再建が火急の課題としてあり、そういった理由のなかで、べトン・ブリュットで安価かつ手早く作ることのできるブルータリズム建築が注目されていました。
ル・コルビジェがどうしてこのコンクリートという素材を選んだのかについては、それが見た目的にも風情があり、また安価であること、さらにメンテナンスがほとんどいらずに、また防音や防火といった建造物として必要な機能を十全に備えていることが指摘されています。
・賛否両論のあるブルータリズム建築
もちろん、この〈生のままのコンクリート〉をそのまま使う(もちろんコンクリートだけではなく、ほかの素材もそうですが)、どこか冷たく粗野で、要塞や監獄さえも連想させる無機質なブルータリズム建築には、特に発足当時は好意的な視線だけでなく批判的な視線も多かったのも事実です。
上に書いたイギリスのブルータリズム建築は、気候の影響でコンクリートの質感がだんだんと劣化して、取り壊されても特に声を上げる人もいなかったそうです。また、スペインのかの有名な芸術家サルバドール・ダリがブルータリズム建築を〈醜い〉と酷評したのも有名な話となっています。
そんな様々な側面を持つ、ブルータリズム建築をこれからいくつか紹介していきます。
特徴的なブルータリズム建築①
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こちらはベルギーにある、コンクリートむき出しの建物になっています。豊かな自然のなかにそびえたつ姿が、やはり要塞のようでもありながら、どこか古代の神殿のような神聖な詩情すら感じさせます。非常にシンプルですが、シンプル故に洗練されているのが、このブルータリズム建築の特徴でしょう。
特徴的なブルータリズム建築②
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今度はオランダにあるブルータリズムの建築物です。コンクリートの質感が、非常に長い時間の流れを感じさせます。また、とても自然で、不器用な、どこか硬質で男性的な雰囲気があります。こうした冷たさと、どこか大量生産時代を象徴するかのような無機質で寡黙で非人間的な感じが、逆に現代の人間性を表現しているという逆説を、こういった建築物を見ていると感じることができます。
特徴的なブルータリズム建築③
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ポーランドの南西部にある都市オポーレの、こちらの建造物。葉っぱのような形をしたモニュメントでしょうか。むき出しのコンクリートの重厚な雰囲気が、都市につよい印象を与えています。また、この植物的な造形と無機質で冷たいコンクリートの混交というのが、不思議な感覚を生み出し、矛盾のような、あるいは逆に調和のような、不思議なメッセージを伝えているように思えますね。
特徴的なブルータリズム建築④
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こちらはまたしても、オランダにあるブルータリズムの感覚が根強く残る建築物です。シンプルなデザインとほとんどそのままで使っているコンクリート、ほとんど詩や装飾といった人工的な華美を取り除いたところから、逆説的に生まれている自然そのものの美しさ。ある意味では、現代が抱える問題を、建築という媒体で表現しているのが、このブルータリズムだと感じます。
特徴的なブルータリズム建築⑤
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今度は、コンクリートだけではなく、レンガやほかの素材をも含めたまさしく〈粗野〉かつ〈生のままの〉ブルータリズムな街角の風景。このブルータリズムという元来は、ある種、都市計画や素材や思想的なところから始まった流れが、現代において、いわゆる〈ミニマル〉という思想や感性ととても密接につながっているのを感じる写真でもあります。
特徴的なブルータリズム建築⑥
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最後は、オーストラリア、シドニーにある典型的なブルータリズム建築の内装です。こういったコンクリートそのままの、ある意味美しく、とてもシンプルな、どこか秘密基地のようなインテリア空間を、わたしたちは必ずどこかで体験しているのではないでしょうか? 学校や図書館、美術館などの公共施設、あるいは喫茶店やバー、レストランなど、こういったコンクリートむきだしの内壁は、いまやおなじみになっている感じがありますね。しかし、こういった建物が現代に残るのにも、当然、深い歴史があります。
・今につながるブルータリズム建築
こうしてブルータリズム建築や建造物をざっと見ているだけでも、様々なことが発見できます。
最初はその機能性や効率性、そして歴史的な流れのなかで生まれた〈素材そのもの〉へと回帰していくシンプルな、そしてある意味、反動的ですらある思想性。
50年代は、いわゆる啓蒙と科学、人格や民主主義が重んじられた近代西洋というものが、二つの大戦を通り抜けた結果、ことごとくその神話を否定され、ゆらぎ、自己の在り方に苦しみ悩みぬいた時期でもありました。当時のヨーロッパの知識人の多くが、いわゆる東洋の、特にインドの哲学へと近づいていきましたが、そのような〈自然回帰〉、〈無と調和〉へのノスタルジーとして、このブルータリズムを解釈することもできます。
もちろん現代でもそういった考えや感じ方は、主として〈ミニマリズム〉という形で、音楽や生活様式のなかに、より柔和な形として残っています。
わたしたちが生きるのに必要なものは多くはないのかもしれません。なのに、わたしたちはつい、メディアや政治や、あるいは経済や世間にうながされて、欲しくないものを求め、そのために苦しんだりしています。そういったいわば、〈近代以降の西洋の重荷〉を反省するため、この無機質ながらもどこか美しい建築様式は、必然的に生まれたのではないでしょうか。
今、必要なものを考える、よいきっかけを与えてくれているのかもしれませんね。