「アールヌーボー」という言葉を聞いたことがありますか?アートに詳しい人や、ミュシャのファン、ステンドグラスやデコラティブな工芸品が好きな方たちにはなじみのある言葉だと思います。しかし、実際アールヌーボーの意味や歴史などを知らない方も多いはずです。
そこで、今回はアールヌーボーについて様々なことを、なるべくシンプルに分かりやすくご紹介させていただきます。
●アールヌーボーとは
アールヌーボーとは、フランス、ベルギーを中心にヨーロッパで起こった芸術運動の一つです。「アールヌーボー」という言葉は、フランスの日本美術商サミュエル・ビングがパリに開いた画廊「メゾン・ドゥ・ラール・ヌーボー」に由来します。
アールは「芸術」、ヌーボーは「新しい」という意味です。直訳すると「新しい芸術」という意味になりますね。
何が新しかったのかというと、アールヌーボー以前は、工芸は美術よりも劣ると考えられていましたが、それを否定し、建築物、家具、食器などの工芸品、さらには商業用ポスターなどのグラフィックデザインを「芸術」にまで高めました。
また、新しい素材であるガラスや鉄を多用したことも当時の人々には斬新でした。アールヌーボーという総合芸術により、芸術家たちは自然と調和した「新しいライフスタイル」を目指しました。
●アールヌーボーの歴史
アールヌーボーは、19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパを中心に広まり流行した芸術運動です。
アールヌーボーに影響を与えたのは、19世紀後半のイギリスに起こったアーツ・アンド・クラフツ運動でした。当時、産業革命によって大量生産の安価で質の低い製品が出回っていました。この運動はウィリアム・モリスが中心となって進め、産業革命による工業化を批判し、職人の技や中世の芸術を通じて生活の美化を推進しました。
民衆の生活に溶け込むアーツ・アンド・クラフツ運動の思想が、ベルギーやフランスで、鉄やガラス中心とした新しい素材を使いながら社会や生活に芸術性を取り戻そうという動きにつながり、アールヌーボーに結実したのです。
アールヌーボーはその時代を象徴する装飾美術様式として認知され、1900年のパリ万博は「アールヌーボー展」とも呼ばれるほど、流行の頂点となりました。ヨーロッパ各地にも広まっていき、各国呼び方もさまざまで、イギリスでは「モダン・スタイル」ドイツ語では「ユーゲント・シュティール」、イタリアでは「スティレ・リベルティ」、スペインでは「モデルニスモ」など、主な名称だけでも二十を超える数があると言われています。
第一次大戦勃発による、社会の変化により、装飾性が高く大量生産に向かないアールヌーボーは時代遅れとなり、約20年で幕を閉じてしまいました。その後、流行は近代的な装飾様式のアールデコへと移行していくのです。
一度衰退したアールヌーボーですが、1960年代にアメリカでアールヌーボー様式の建築の再評価がされ、その後、ヨーロッパ各地に眠っていたアールヌーボー建築が次々に発見されました。現代においても、アントニオ・ガウディの建築物やアルフレッド・ミュシャの絵をはじめとするアールヌーボーの作品などが世界中人々を魅了しています。
●アールヌーボーの特徴
アールヌーボーの特徴は、自然な曲線や曲面を用いることで装飾的に表現されていることです。また、花、草、蔦、昆虫など、有機物をモチーフにしていることが多く、階段の手すりや木製家具の形態としてそうしたモチーフが取り入れられたり、さらには壁に描かれることもありました。そのようなモチーフは、さらに抽象的な形態に簡略化され、自然を想起させるような自由な曲線によるデザインになることもありました。
また、アールヌーボーの美しい装飾的な表現は、当時流行していたジャポニズムの影響を強く受けていると言われています。アールヌーボーの絵画、建築、家具、ジュエリーなどのあらゆるデザインは、浮世絵に見られるようなアシンメトリーのレイアウト、花や植物、昆虫など自然をモチーフにしたゆるやかで曲線的な形状や構造など、華やかさが特徴です。
●アールヌーボーの芸術家
アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha 1860 – 1939)
出典:Pinterest
アルフォンス・ミュシャ[黄道十二宮]
本の表紙、雑誌の挿絵、宣伝ポスター、新聞のタイポグラフィ、絵はがきなどのグラフィックデザインやイラストレーションのアーティストの中でも、最も影響力があったのはチェコのアルフォンス・ミュシャでした。
パリの街頭に貼り出されたヴィクトリアン・サルドゥの演劇「ジスモンダ」のミュシャ作のポスターは一夜にしてセンセーションを巻き起こしました。
ミュシャの大半の作品は、女性を中央に据え、自然の要素からなるアラベスクで取り囲んだ繊細なデザインでした。このスタイルは世界的な評判を獲得し、当時のイラストレーターたちに広く模倣されました。
ドーム兄弟(Daum Frères)
兄オーギュスト(Auguste Daum 1853 – 1909)
弟アントナン(Antonin Daum 1864 – 1930)
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ドーム兄弟[冬風景文ランプ]
ドーム兄弟は、アール・ヌーボー期に国際的な脚光を浴びたフランスのガラス工芸家です。「1897年のブリュッセル万国博覧会で金賞」「1900年のパリ万国博覧会で大賞」などを授与され、ナンシーを代表する会社としてその名を世界に広めていきました。
ドーム兄弟の作品には新種の園芸品種、珍しい外国の温室植物など、幅広い種類の植物がデザインされていました。また、野原や森、四季、雲の流れ、夕暮れなど、美しい風景デザインもドーム兄弟の作品の魅力です。
ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany 1848 – 1933)
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ティファニー[キングサリのランプ]
ルイス・カムフォート・ティファニーはアメリカの宝飾デザイナー、ガラス工芸家で、アメリカにおけるアールヌーボーの第一人者として知られています。とくにステンドグラスやモザイク加工で名を馳せ、当時発明されたばかりの電気スタンドを美しく彩るステンドグラスを制作し、今でも「ティファニー・ランプ」として世界中で愛されています。
ヴィクトール・オルタ(Victor Horta 1861 – 1947)
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ヴィクトール・オルタ[タッセル邸]
ベルギーのヴィクトール・オルタは非対称的な曲線模様を特徴としたアールヌーボー様式を装飾芸術から建築へと取り込んだ最初の建築家と言われています。 オルタの「タッセル邸」は世界初のアールヌーボー建築作品です。「建築家ヴィクトール・オルタの主な都市邸宅群」は世界遺産に登録されています。
エクトール・ギマール(Hector Guimard 1867 – 1942)
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エクトール・ギマール[パリ・メトロ出入口]
エクトール・ギマールは、フランスの建築家で、アールヌーボーの代表者です。ギマールは、パリ最初のアールヌーボー建築であるパリ16区の住宅「ラ・フォンテーヌ・アガー集合住宅」を設計して高い評価を得ました。
その後、パリのメトロ出入り口のデザインを任されます。草が絡まるような不思議な形のメトロの出入り口は代表的な建築となり、現在はパリのイメージシンボルのような存在です。
●おわりに
アールヌーボーとは何か、なんとなくお分かりいただけましたでしょうか?デコラティブでとても美しい作品が多いですよね。漫画に出てきそうな装飾やラインは、日本人にも大変人気が高いです。
アールヌーボーは、日本の影響を受けた物も多くみられますが、逆に、日本の芸術家たちにも強い影響をあたえました。優れた芸術は、国境や時代を超えて人々を感動させるのでしょう。
アールヌーボーに触れる旅に出てみるのはいかがでしょうか?