アールヌーボーとアールデコの違いを徹底解説!意外とわからないその特徴や定義とは?

by twistdesign

「アールヌーボー」と「アールデコ」という言葉を聞いたことがありますか?アートや建築、グラフィック、インテリア、家具、テキスタイルなどの様式をあらわすにおけるデザイン様式を表す言葉です。「アールヌーボー」と「アールデコ」は、言葉は似ていても全く異なるデザイン様式です。今回はそれらの違いについても見ていきましょう。

今回は、「アールヌーボー」と「アールデコ」の意味や歴史、そして、違いを徹底的に解説させていただきます。

●「アールヌーボー」と「アールデコ」の違い

まずは簡単に「アールヌーボー」と「アールデコ」の違いを説明させていただきます。

<アールヌーボー>

時期:19世紀末~20世紀初頭
場所:ベルギーやフランスを中心にヨーロッパで流行
デザイン:自由曲線
モチーフ:花や植物など有機的
雰囲気:装飾的で華やか
分野:建築、家具、工芸、絵画、グラフィックデザインなど多岐にわたる
意味:新しい芸術

<アールデコ>

時期:1910年代半ば~1930年代
場所:ヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニューヨーク)を中心に流行
デザイン:直線的
モチーフ:幾何学図形
雰囲気:機能的で実用的
分野:建築、家具、絵画、ポスター、工芸、ファッションなど多岐にわたる
意味:装飾美術

<アールヌーボーの由来>

「アールヌーボー」という言葉は、フランスの日本美術商サミュエル・ビングがパリに開いた画廊「メゾン・ドゥ・ラール・ヌーボー」に由来します。

<アールデコの由来>

1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)で、その一部「Arts Décoratifs」から、「アールデコ博」と略称されていたことにちなみ、「アールデコ」と呼ばれるようになりました。

<アールヌーボーの概要と歴史>

アールヌーボーとは、フランス語で「新しい芸術」を意味し、19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパを中心に広まり流行した芸術運動です。アールヌーボーは、その状況に対して、鉄やガラス中心とした新しい素材を使いながら社会や生活に芸術性を取り戻そうという動きでした。建築、家具、ファッション、工芸品、グラフィックデザイン、書籍、絵画、宝飾品、舞台にいたるまで、広範囲な装飾芸術として発展しました。

アールヌーボーの理論に影響を与えたのは、19世紀後半のイギリスに起こったアーツ・アンド・クラフツ運動でした。当時、産業革命によって大量生産の安価で質の低い製品が出回っていました。この運動はウィリアム・モリスが中心となって進め、産業革命による工業化を批判し、職人の技や中世の芸術を通じて生活の美化を推進しました。民衆の生活に溶け込むアーツ・アンド・クラフツ運動の思想が、ベルギーやフランスで、鉄やガラス中心とした新しい素材を使いながら社会や生活に芸術性を取り戻そうという動きにつながり、アールヌーボーに結実したのです。

アールヌーボーはその時代を象徴する装飾美術様式として認知され、1900年のパリ万博は「アールヌーボー展」とも呼ばれるほど、流行の頂点となりました。ヨーロッパ各地にも広まっていき、各国呼び方もさまざまで、イギリスでは「モダン・スタイル」ドイツ語では「ユーゲントシュティール」、イタリアでは「スティレ・リベルティ」、スペインでは「モデルニスモ」など、主な名称だけでも二十を超える数があると言われています。

アールヌーボーの特徴は、自然な曲線や曲面を用いることで装飾的に表現されていることです。また、花、草、蔦、昆虫など、有機物をモチーフにしていることが多く、階段の手すりや木製家具の形態としてそうしたモチーフが取り入れられたり、さらには壁に描かれることもありました。そのようなモチーフは、さらに抽象的な形態に簡略化され、自然を想起させるような自由な曲線によるデザインになることもありました。

また、美しい装飾的な表現が、当時流行していたジャポニズムの影響を強く受けていると言われています。アールヌーボーの絵画、建築、家具、ジュエリーなどのあらゆるデザインは、浮世絵に見られるようなアシンメトリーのレイアウト、花や植物、昆虫など自然をモチーフにしたゆるやかで曲線的な形状や構造など、華やかさが特徴です。

第一次大戦勃発による、社会の変化により、装飾性が高く大量生産に向かないアールヌーボーは時代遅れとなり、約20年で幕を閉じてしまいました。その後、流行は近代的な装飾様式のアールデコへと移行していくのです。

一度衰退したアールヌーボーですが、アメリカで1960年代にてアールヌーボー様式の建築の再評価がされ、その後、ヨーロッパ各地に眠っていたアールヌーボー建築が次々に発見されました。現代においても、アントニ・ガウディの建築物やアルフレッド・ミュシャの絵をはじめとするアールヌーヴオーの作品などが世界中人々を魅了しています。

<アールデコの概要と歴史>

アールデコという名称は、フランス語で「装飾美術」を意味し、アールヌーボーに代わり、1910年代半ばから1930年代にかけて流行したムーブメントです。アールデコは、シンプルで合理的な、幾何学図形をモチーフにした直線的で記号的な表現が特徴の装飾美術です。

1925年のパリ万国博覧会にて、アールヌーボーに次ぐ現代の様式(スティル・モデルヌ)を打ち立てることを目指し、建築、室内装色、ファッション、ポスター、映画など、幅広いジャンルのアールデコ作品が紹介されました。

実は当時、パリではアールデコはそれほど盛んになりませんでした。しかし、アメリカで第一次世界大戦の戦勝国アメリカで大々的に花開きます。1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」と呼ばれ、高層ビルが次々と建てられ、自動車、映画、ジャズなど芸術や文化の面でも世界の中心となりました。アールデコ様式は、それらと結びついて流行し、インテリアやファッションなど都市生活者の生活スタイルを象徴するものとなりました。

ニューヨーク・マンハッタンで、アールデコ様式の代表的な建築物は、エンパイア・ステート・ビル、クライスラー・ビル、ロックフェラーセンターです。特にクライスラー・ビルはマンハッタンのシンボル的存在であり、アールデコ建築の最高傑作とも言われています。

アールデコと一言で言ってもスタイルは様々で、キュビズムの線と形、バウハウスのシンプルで合理的なデザイン、古代エジプトの装飾模様、アステカ文化の装飾、日本や中国などの東洋美術などの引用や影響が見られます。シンプルな中にも、クールで目を引くデザインが多いのが特徴です。色彩としては、金と銀や、赤と黒が多く使われましたが、金と銀の使い方は控えめで、金属は光沢のあるジュラルミンやアルミニウム、さらにコンクリートを覆う陶器製のタイルも重宝されていました。

アールデコは商業主義と切り離せないため、商業主義と芸術の結びつきを否定する美術界や建築界から軽視されるようになり、第二次世界大戦の勃発と、都市文化の衰退とともに、アールデコブームは終焉を迎え、流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられました。

従来の美術史、デザイン史では全く評価されることがなかったアールデコでしたが、1966年にパリで開催された「25年代展」以降、モダンデザイン批判やポスト・モダニズムの流れの中で再評価がされ始めました。特にファッション業界が世界的なリバイバルのブームを先導。その後、中東紛争によるオイルショックと経済混乱によって、アールデコは再度衰退。そして1980年代初頭にはポスト・モダンの建築家マイケル・グレイヴスやハンス・ホライン、そしてミラノのデザイナー集団メンフィスなどがアールデコを引用し注目されました。しかし、1990年代にミニマルリズムが流行することで失速。アールデコは20年周期で衰退と復活を繰り返しているのです。

<アールヌーボーのグラフィック・アート>


出典:Amazon
アルフォンス・ミュシャ[ジスモンダ]
本の表紙、雑誌の挿絵、宣伝ポスター、装飾パネル、新聞のタイポグラフィ、絵はがきなど、多くのグラフィック・アートにアールヌーボーは使われました。そのアーティストの中でも最も影響力があったのは、チェコのアルフォンス・ミュシャです。今では、日本で一番人気があるのではないかと思われるほど、展覧会が繰り返されています。

パリの街頭に貼り出されたヴィクトリアン・サルドゥの演劇「ジスモンダ」のミュシャ作のポスターは一夜にしてセンセーションを巻き起こしました。

その他、次のような著名なグラフィックアーティストが挙げられます。


出典:Amazon
・オーブリー・ビアズリー[The Climax]
イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。最も独創的なアールヌーボーの芸術家の1人。挿画の対象に選んだ主題が不遜なもので論争を引き起こしたが、同時に称賛も浴びていた。

 


出典:楽天市場
・テオフィル・アレクサンドル・スタンラン[黒猫 Tournee du Chat Noir]
フランスのアールヌーボーの画家、版画家。スタンランの作品は現在、ロシアのエルミタージュ美術館やアメリカのワシントンDC州にあるナショナル美術館など世界中の多くの美術館に所蔵されています。

また、アーツ・アンド・クラフツ運動の一員であったチャールズ・レニー・マッキントッシュ、「ベルギーのミュシャ」と目されたアンリ・プリヴァ=リヴモン、クリムトが設立したウィーン分離派の一人コロマン・モーザー、生活や機能と結びついた新しい造形芸術の創造をめざしたドイツの分離派の創始者の一人フランツ・フォン・シュトゥックなどが挙げられます。

<アールデコのグラフィック・アート>

アドルフ・ムーロン・カッサンドル、シャルル・ルーポ、ジャン・カルリュは、アールデコ期ポスターの「三銃士」と呼ばれ、フランス広告界の支配者的存在でした。

 


出典:楽天市場
・アドルフ・ムーロン・カッサンドル[ノルマンディー号]

 


出典:Instagram
・シャルル・ルーポ[Saint Raphaël]

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Paper & People(@paperandpeople_)がシェアした投稿


出典:Instagram
・ジャン・カルリュ[Peace for All]

 

<アールヌーボーの建築>

アールヌーボー運動の中心地であったフランスのナンシーとベルギーの首都ブリュッセルには数多くのアールヌーボー建築が残っています。また、ラトビアのリガにはヨーロッパ最大規模のアールヌーボー建築群があります。

 

この投稿をInstagramで見る

 

cocopassions(@cocopassions)がシェアした投稿


出典:Instagram
・アンリ・ソヴァージュ[マジョレル邸]@フランス・ナンシー

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

Albert(@albertcookies)がシェアした投稿


出典:Instagram
・ヴィクトル・オルタ[オルタ邸]@ベルギー・ブリュッセル

 


出典:Pinterest
・ミハイル・エイゼンシュテイン[ユーゲントシュティール建築群]@ベラトビア・リガ

<アールデコの建築>

1930年頃のニューヨークの摩天楼(クライスラー・ビルディング、エンパイア・ステート・ビルディング、ロックフェラーセンターなど)が有名であり、一世を風靡しました。

 

この投稿をInstagramで見る

 

David LaCombe(@i_am_lacombe)がシェアした投稿


出典:Instagram
・ウィリアム・ヴァン・アレン[クライスラー・ビルディング]@アメリカ・ニューヨーク

<アールヌーボーと日本の関係>

アールヌーボーの芸術家たちは、日本の浮世絵から大きな影響を受け、それを作品に反映させていたと言われています。逆に日本では、アールヌーボーに触発され、橋本五葉や藤島武二ら日本の芸術家たちが創作活動をおこなっていました。

<アールデコと日本の関係>

アールデコはヨーロッパやアメリカで流行するとともに、日本にも伝わりました。アールヌーボー建築と違い、高い技術と費用を必要としないため、日本でもアールデコ様式の建築物がいくつか作られました。旧帝国ホテルはアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによる設計でした。現在は愛知県犬山市の明治村に中央玄関部分だけ移築されて残っています。

●おわりに

アールヌーボーとアールデコの違いについて紹介させていただきました。簡単にまとめると「アールヌーボー様式は曲線的・アールデコ様式は直線的」というのが一番でしょうか。共通する点は、どちらも短い期間に大流行し、一気に廃れたことです。そして、どちらもリバイバルによって再度注目を浴びました。

興味を持たれた方は、是非、本などでアールヌーボーとアールデコのより詳しい内容を勉強していただければと思います。

あなたへのおすすめ記事