アールヌーボー建築とは?デザインの特徴と代表作

by twistdesign

●アールヌーボー建築の特徴

アートや建築、グラフィック、インテリア、家具、テキスタイルなどの様式をあらわす「アールヌーボー」という言葉があります。日本でも人気のスタイルですが、アールヌーボーには、どのような意味や歴史があるのでしょうか? 今回は、特に建築に焦点を当てて、その特徴や具体例などを紹介していきましょう。

アールヌーボーの意味とは?

アールヌーボーとは、19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパを中心に広まり流行した芸術運動です。主に建築、家具、ファッション、工芸品、グラフィックデザイン、書籍、絵画、宝飾品、舞台にいたるまで、広範囲な装飾芸術として発展しました。アールヌーボー(Art nouveau)は、フランス語で「新しい芸術」という意味を持ちます。この言葉は、フランスの日本美術商サミュエル・ビングがパリに開いた「アールヌーボー」という名の画廊にちなんだもの。狭義には、ベル・エポックと呼ばれる19世紀末から第一次世界大戦勃発までの、パリが華やかに繁栄した時代のフランス装飾美術を指し、広義には、19世紀後半のイギリスで起こったアーツ・アンド・クラフツ運動以降の、ヨーロッパ全土で花開いた新しい装飾美術のことを指します。後者においては各国呼び方もさまざまで、イギリスでは「モダン・スタイル」ドイツ語では「ユーゲント・シュティール」、イタリアでは「スティレ・リベルティ」、スペインでは「モデルニスモ」など、主な名称だけでも二十を超える数があると言われています。

アールヌーボーは、過去の伝統的な芸術様式から切り離された新しいムーブメントでした。そしてその潮流は、続く20世紀のモダニズム・機能主義の基礎を形作っていきます。興味深いのは、この美しい装飾的な表現が、当時流行していたジャポニズムの影響を強く受けている点でしょう。浮世絵に見られるようなアシンメトリーのレイアウト、花や植物、昆虫など自然をモチーフにしたゆるやかで曲線的な形状や構造など、日本美術の表現様式にルーツを求める華やかなデザインが特徴です。建築においては、鉄やガラスといった当時の新素材を用いたことが特徴として挙げられます。


出典:Pinterest

アールヌーボーが誕生した時代背景と歴史

アールヌーボーは、アーツ・アンド・クラフツ運動や、ジャポニズムに刺激を受けて始まったムーブメントと言われています。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヴィクトリア朝のイギリスに起こったアーツ・アンド・クラフツ運動は、ウィリアム・モリスが主導し世界各国へと影響を及ぼしたデザイン運動です。当時、産業革命に端を発した工業化によって、市場には安価で粗悪な大量生産品が出回りました。モリスはこうした状況に疑問を投げかけ、職人の手仕事や中世の芸術に立ち返り、生活の美化を目的とする運動を推進したのです。その動きはやがて社会的な芸術運動に発展し、イギリス全土に拡大。さらにはヨーロッパ諸国へと広がっていきました。そしてこの思想が、フランスの新しい芸術運動へと発展していくのです。

また、鎖国をやめた日本の文化、ジャポニズムがヨーロッパに流行しはじめたことで、フランスのデザイン様式には、微妙な変化が起こります。ジャポニズムは万国博覧会への作品出店をきっかけにブレイクし、印象派の画家に多大な影響を与えました。その後のフランスの絵画や家具、建築に至るまであらゆる工芸品のデザインに、日本の影響がみられるようになっていきます。そして、次第にジャポニズムから離れて発展して行き、フランスの新しい芸術運動であるアールヌーボーへと結実していったのです。

建築においても、それまでは過去の様式を発展させたものばかりだったこともあり、アールヌーボーという新しいデザインが広く取り入れられました。アーティストや建築家も、何か新しい要素を求めて新たなスタイルの模索を行っていったのです。優美で美しい建造物があちこちで建てられ、アールヌーボーデザインは地下鉄の駅など公共施設にも用いられました。

アシンメトリーな曲線模様を特徴としたアールヌーボースタイルを建築へ最初に取り込んだと言われているのが、ベルギーの建築家ヴィクトル・オルタです。パリで美術を学んだオルタは、ブリュッセルに帰郷し、タッセル邸、ソルヴェー邸、オルタ邸など、数々のアールヌーボー建築を世に送り出しました。現存する4棟の個人住宅は、建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群 (ブリュッセル)として、2000年、ユネスコ世界遺産に登録されています。

オルタ邸とアトリエの外観

▲オルタ邸とアトリエの外観

1900年のパリ万博は、「アールヌーボー展」とも呼ばれるほどの盛り上がりを見せました。芸術家エクトール・ギマールにより地下鉄の駅がアールヌーボー様式で飾られ、その個性的なフォルムに世界中の人達が魅了されました。建築様式はベルギーとフランスからドイツ、スイス、イタリア、スペイン、そしてヨーロッパの他の地域に広がり、各国で異なる名前と性格を帯びてきました。 しかし流行りは長くは続かず、その後急速に衰退し、装飾芸術の流行は新しいスタイルのアールデコへと移行していきます。機能的、合理的な造形理念に基づくモダニズム建築が主流となると、アールヌーボーデザインは時代遅れとなり、多くの建築物が取り壊されていきました。一部は美術館や博物館などに姿を変え、今でもヨーロッパの街並みに溶け込んでいます。

アールヌーボー建築のデザイン的な特徴

花や葉、ツタ、昆虫など自然界のものをモチーフにした有機的なデザインが多い点がアールヌーボー建築の特徴です。門扉や階段の手すり、天井、装飾の一部に取り入れられたこれらのモチーフは個性的で華やか。また、それらのモチーフを抽象化した、自然を想起させるような自由な曲線や流動的な曲面も好んで用いられました。

鉄を使った細やかな表現も多く見られます。鉄は当時の素材としては新しく、「新しい芸術」を表現するのにはもってこいでした。砂岩、レンガ、タイル、ガラス、鉄など、異素材を組み合わせるケースも見られます。

タッセル邸の階段

▲美術作品のように美しいタッセル邸の階段

出典:ENCYCLOPAEDIA BRITANNICA

アールヌーボーからアールデコへ その違いとは

大流行したアールヌーボーでしたが、時代が移り変わるとともに、やがてデザインの最先端はアールデコへと移行していきます。アールヌーボーとアールデコ、どちらも芸術様式をあらわす似たような言葉ですが、その違いは何なのでしょうか。

まず、前述したとおり、アールヌーボーは19世紀末から20世紀はじめにかけて、ヨーロッパで流行した芸術運動です。花や植物などの有機的なモチーフを曲線的なデザインで表現しました。いっぽう、アールデコはアールヌーボーに代わり、1910年代半ばから1930年代にかけて流行したムーブメント。シンプルさと合理性を追求し、幾何学図形をモチーフにした直線的・記号的な表現が特徴の装飾美術です。アールデコという名称は、第一次世界大戦によって延期されていたパリ万博「Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes」から来ています。当時、パリではアールデコはそれほど盛んになりませんでしたが、海を渡ったアメリカで大々的に花開きます。

アールデコスタイルの代表的な建築は、エンパイア・ステート・ビルディング、クライスラー・ビルディング、ロックフェラー・センターなどの、いわゆるニューヨークマンハッタンの建築群です。特にクライスラー・ビルディングはニューヨークマンハッタンのシンボル的な存在で、その美しい外観から、アールデコ建築の最高傑作との呼び声も高い建造物。オフィスとして使われているので展望台はありませんが、パブリックスペースであるロビーでは、アールデコ様式の美しい装飾を見ることができます。

▲クライスラー・ビルディングの最頂部

●アールヌーボー建築の代表作

フランス、ベルギーがアールヌーボーの中心地でしたが、同様の様式はヨーロッパ各地やアメリカ合衆国でも花開きました。チェコ、スペイン、ラトビア、イギリス、イタリア、その他の国々にもアールヌーボー様式の鉄道駅、ホテルの建物などが残っています。アールヌーボー建築の代表作を見てみましょう。

<エクトール・ギマールによるパリの地下鉄駅出入り口>

エクトール・ギマールによるパリの地下鉄駅出入り口

▲パリのメトロを飾るエントランス

1900年のパリ万国博覧会の開催に合わせて開業したパリのメトロ。その出入り口のデザインを手がけたのは、アールヌーボーの巨匠と称されるフランスの建築家、エクトール・ギマールです。まるで昆虫が羽根を広げたかのような天蓋、植物が伸びるようにアーチを描く柱、花のような街灯。植物や、昆虫を想起させるこの有機的な造形は、アールヌーボー作品の代表建築です。最盛期には、多種多様なデザインが150箇所以上もありましたが、アールヌーボー様式の衰退とともに、多くが取り壊されていきました。取り壊しを免れてオリジナルが現存するスポットは、貴重な建築遺産に。パリ観光で立ち寄ってみるのもおすすめです。

<ポール・アンカールのアンカール邸>

ポール・アンカールのアンカール邸

▲ポール・アンカール邸

出典:HISTORIEK

ベルギー人建築家のポール・アンカールが手掛けた自邸。ブリュッセルに1893年に建設されたこの住宅は、同ベルギーの建築家ヴィクトル・オルタデザインのタッセル邸と並び、アールヌーボー様式最初の建造物として知られています。レンガと鉄が美しく組み合わされ、意匠の凝らされた美術品のような壁面が特徴的。鳥や花が描かれ、まるで金屏風のような華やかな印象です。最上階右には、朝、昼、夜を象徴する鳥が描かれています。

<オルタ美術館>

▲オルタ邸

出典:Pinterest

アールヌーボー建築家、ヴィクトール・オルタが建築した、ベルギーのサン=ジル、アメリカ通りにある邸宅は、現在は「オルタ美術館」となっています。この邸宅は、オルタの他の3つの邸宅と共に「建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群」としてベルギーの世界遺産に登録されています。オルタは建築だけではなく、家具、床のモザイク、ステンドグラスの窓、壁画などの内装も全てコーディネートしました4階建ての家を貫くように、螺旋階段が続き、階段の上にある見事なガラス天井からも光が取り入れられる造りです。

<チェコのプラハ本駅>

チェコのプラハ本駅

▲チェコのプラハ本駅のホール

日本でも有名なアールヌーボーを代表する画家ミュシャを輩出したチェコ。その首都プラハにある、プラハ本駅はチェコのアールヌーボー様式建築です。チェコの名建築家であるヨゼフ・ファンタが建て替えを手がけました。正面入り口を入って広がる大きなホールは、高い吹き抜けの円蓋天井で覆われ、外壁には冠を被った女性や、ジャポニズムの影響なのか日本人と思われるが女性のレリーフも。チェコには公共施設やホテル、カフェの内装に至るまで、町中にアールヌーボー芸術が溢れています。

<リガのアールヌーボー地区>

出典:Pinterest

ラトビアの首都リガの「新市街」の一角にアールヌーボー建築の集まった場所があります。リガのほとんどのアールヌーボー様式の建物は、1904年から1914年の急速な経済成長の時期に建てられました。そのうちもっとも見応えのある一群の建築を手がけたのが建築家ミハイル・エイゼンシュテイン(1867〜1921)です。エイゼンシュテインの代表作はリガの各地に残されていますが、とりわけアルベルタ通り、エリザベテス通りに集中しています。エイゼンシュテインは、ラトビアの民話や神話が表されたものがほとんどで、建物の正面には人の顔、動物、植物などが装飾されています。特にエリザベテス通りにあるアパートは、高さが2mほどもある巨大な顔が建物の上から見下ろしているなど、驚くほどの象徴的なモチーフと装飾で埋め尽くされていて、見る者を圧倒します。

<アントニオ・ガウディの作品群>

▲サグラダ・ファミリア

出典:Pinterest

19世紀から20世紀にかけてのアールヌーボー期のバルセロナを中心に活動した、スペイン、カタルーニャ出身の建築家アントニ・ガウディによるサグラダ・ファミリア(聖家族教会)グエル公園、カサ・ミラなどの作品はアントニオ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されています。特にサグラダ・ファミリアは、優美な曲線と有機的なモチーフや繊細な彫刻が詰め込まれた、アールヌーボーを代表する建築の一つです。

<ナンシーの旧マジョレル邸>

▲旧マジョレル邸

出典:Pinterest

アールヌーボー発祥の地として知られるフランスの北東部アルザスロレーヌ地方にあるナンシー。ナンシーには、商店、銀行、個人邸宅など、国の歴史記念物に指定されたアールヌーボー建築が53棟あります。特に、アールヌーボースタイルの家具デザイナーとして大きな功績を残した人物、ルイ・マジョレルが住んでいた、アンリ・ソヴァージュによる
「マジョレルの家」は、とても重要なアールヌーボー建築です。流れるような弓窓の外観はもとより、ナンシー派の芸術家達が担当した家具などの内装は、木工品の美しさが際立っています。煙突はアレクサンドル・ビゴー、ステンドグラスはジャック・グリューバーの作品です。

<ウィーンのマジョリカハウス>

 

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▲マジョリカハウス
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マジョリカハウスは、1898年にオットー・ワーグナーによって設計されたオーストリアのナッシュマルクトという、ウィーン最大の市場に面した、リンケ・ヴィーンツァイレ通りにある、華やかな装飾でひときわ目立つアパートメント。オットー・ワーグナーは、クリムトなどと同世代の、ユーゲントシュティル様式(アールヌーボー様式のドイツ語名)の建築家です。建物の最大の特徴は、花柄の付いたセラミックタイルで装飾されたファサードです。イタリア、マジョルカ産のこのタイルは、この建物の名前の由来でもあります。歴史的な建造物ですが、今でも住民がいるため、内部の見学はできません。

<トリノのカーサ・フェノグリオ・ラフルール>

 

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▲カーサ・フェノグリオ・ラフルール
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カーサ・フェノグリオ・ラフルール(Casa Fenoglio-Lafleur)は、1902年に建築家ピエトロ・フェノグリオによって設計され、彼の私邸となりました。その後、建物はフランス人のラフルール氏に売却されたので「フェノグリオ・ラフルール」という名前で知られています。1990年代に現在の持ち主により修復され、今は個人の住居といくつかのオフィススペースが入っています。イタリア国内にあるアールヌーボー建築の中で最も有名な建物です。窓ガラスとテラスの鉄枠の装飾が大変特徴的なアールヌーボー様式の建築です。

<ブダペスト応用美術館>

 

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▲ブダペスト応用美術館
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ジョルナイ磁器で装飾され、緑と黄土色の屋根が有名なアールヌーボー様式のハンガリーのブダペスト応用美術館。建物は1893年から1896年の間に作成され、世界で三番目に古い応用美術館でもあります。おとぎ話に出てくるように美しく装飾されたエントランスホールは、その先の広大なガラスのホールへと通じています。内観は大変特徴的で、ヒンドゥー教、イスラム教およびハンガリーの様式的特徴を駆使してデザインされています。

<ブリュッセルのオールドイングランドビル>

 

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▲オールドイングランドビル
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建築家ポールセイントノイに設計され、1899年に建設されたデパート。ベルギー、ブリュッセルの重要なアールヌーボー様式の建築物で、現在は楽器博物館があります。鉄のグリル細工とセラミックタイルの豊かな装飾と自然光、そしてオープンフロアプランが特徴的です。

●まとめ

アールヌーボー建築の特徴と代表作を中心にご紹介させていただきました。いかがでしたか?デコラティブでとても美しい建物ですよね。漫画に出てきそうな装飾やラインは日本人好みではないでしょうか?

1度は脚光を浴びてヨーロッパ中で流行したアールヌーボーでしたが、残念ながら20世紀初頭の装飾を排したモダンデザインの台頭とともに、世紀末の退廃的・病的デザインとして廃れていきました。しかし、1960年代のアメリカ合衆国でアールヌーボーのリバイバルが起こって以降、世界中で、アールヌーボーの装飾と造形の豊かさの再評価が進み、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになっていきました。日本でも「ミュシャ展」などアールヌーボーの展覧会が開催されていて、人気の高さがうかがえますね。

今回ご紹介させていただいた内容にご興味を持っていただけましたら、是非、本などでアールヌーボーのより詳しい内容を勉強していただければと思います。

 

 

 

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